曲から物語を書いてみる

好きな曲から思いつきで短い物語を書いてみます。

クラーク博士と僕

現代文で使用された小説を図書館で見つける。高校三年の年末を模試と自己採点の繰り返しだけで過ごす川田良介にとって、それは唯一の楽しみだった。良介は推薦で早々と大学が決まっていた。とはいえもう高校来ませんとも言えず、一般受験に向け必死な同級生にも進路が決まっているだなんて言えなかった。ただ一緒になってひっそりと模試を受け卒業を待つことだけが、異様な緊張感に包まれた教室内で過ごす術だった。ホームルームが終わると良介は逃げるように教室を出て市営の図書館へ向かうようになった。

「なんてったっけなぁ、タイトル」

問題用紙が回収されたため今日の模試で出題された小説のタイトルがわからなかった。元々あまり活字を追うことに慣れていなかった良介でも、小説の文章から滲み出るあの堅苦しさを感じずに読めたこと。どこか懐かしい気がしたこと。それだけが記憶に残っていた。ただ文章と裏腹に問題が難しく、点数は良くなかった。

純文学の棚を端から見ていく。それらしいタイトルはなかなか見当たらない。目で背表紙を追いながら、ぼうっと他のことを考え始めた。

最近考えごとをすることが増えた。思春期、多感な時期だと周りが言えばそれまでだが、良介にとってはそれが18年間生きてきた世界の全てで、小さい悩みでは決してなかった。

制服を脱いで実家を離れる生活がすぐそこまで来ている。いきなり自力で歩かされる。何度考えてもよくわからなかった。実感がまるでない。「大学生になるんだから」と言われることが嫌だった。社会的な肩書きだけが一人歩きして、自分は何も変わってなどいない。小学生の頃憧れていた親戚のヨシヒロ兄ちゃんは、高三の時もっと大きな背中をしていた気がする。

純文学の棚には結局それらしい本はなかった。棚は児童文学に変わった。数人の小学生が絵本を探している。この子たちには、自分はヨシヒロ兄ちゃんのように見えているのだろうか。まさかね。良介がそろそろ図書館を出ようとしたその時、小学生の手にした本が目に入った。

それは良介も読んだことのある本だった。臆病な主人公がじさまを助けるために勇気を…

思い出した。模試に使われたのはちょうど主人公の葛藤シーンだった。主人公の心情を選択形式で問われた問題。良介は正答できなかった。

肩身の狭い教室、急に大人扱いされること、良介自身の問題も正答などまだわからない。ただ小学生にはこの背中が大きく見えてほしい、ほんの少しだけそう思いながら児童文学の棚から離れた。一生臆病なままでいたくない。答えに手は伸ばせていないが、答えはあるのだろうと思った。